高校生の私が出会った「世界」 香港がくれた人生のコンパス

高校生のとき、進路に悩んでいた私に
兄がくれた「香港行ってみる?」という一言。
それが、私と“外の世界”との出会いでした。
言葉も文化も違う場所で
感じた“生きている実感”。
あの体験が、今も私の原点です。
そして今、再びその感覚を胸に、
新しい一歩を踏み出そうとしています。
過去と未来をつなぐ、
新たなスタートが始まります。

目次

高校生の私が出会った「世界」 香港がくれた人生のコンパス

初めての海外、待ち合わせ場所は…

前回のブログがまだの方は、まずこちら。

高校2年生の夏、
人生初の海外旅行。

兄と2人で行くことになるのですが、
まさかの私に課せられたのは、
香港空港のマクドナルドの前で
待ち合わせ

なかなかスパルタな兄です笑


初めての海外なのに、
「香港、現地集合。」

ありがたくも、
携帯電話は持たせてもらいましたが。

夏の暑い日。
ドキドキしながら
関空から香港行きの飛行機に、
ひとりで乗り込みました。
キャセイパシフィックです。


機内でCAさんに話しかけられた時、
ドキドキしながら「Water, please…」
と答えたあの日。

自分が“世界の中のひとり”になったような、
不思議な感覚がありました。

ハーゲンダッツのアイスクリームが
美味しかったことも
よく覚えています(笑)。

香港に降りると
すべて英語と中国語で、
目に入るものすべてが日本と違う。

小さなことが、全部特別な体験。

さぁ、待ち合わせ場所の
マクドナルドへ。

空港内にいくつかあって、
「え、どこのマクドナルド!?」
とプチパニック。

英語もほとんど話せなかった私は、
ただただ人の波に飲まれながら、
必死に探し回りました。

兄は、韓国から来るということで
到着案内板が「Arriving」になるかどうかを
何度も見に行きました笑


ようやく兄と再会できた時の
安心感と達成感は、
今でも忘れられません。

ひとりで空を飛んで、
海外の空港にに降り立ち、
人を探し出して再会する。

自分の中の「できた!」
更新した瞬間でした。

大冒険の始まりにふさわしい、
ドタバタの現地合流劇でした。

憧れの“海外で働く女性”との出会い


香港滞在中、
兄がセッティングしてくれたのが、
現地で働く2人の日本人女性との食事会でした。

そのお二人は、どちらも兄の大学の先輩。
しかも、どちらも
「海外でバリバリ働いている女性」だったんです。

ひとりは、なんと外務省の調査員として現
地に派遣されていたAさん

もうひとりは、香港の現地企業で広東語を
駆使して働いていたSさん


目の前にいるそのおふたりが、
あまりにもかっこよくて、
キラキラしていて、
私はただただ見とれていました。

Aさんは穏やかで知的な雰囲気を
まといながらも、
国際的な視点で物事を話されていて、
「こういう仕事があるんだ…!」
と世界の広さを教えてくれました。

Sさんは、地元スタッフとのやりとりを
すべて広東語でこなしているという話を
サラッと語っていて、
「外国語って、こんなに人生を広げるんだ」
と衝撃を受けたのを覚えています。

ふたりとも、かつては私と同じように
日本で進路に悩んで、外国語を学び、
今こうして海外で活躍している。

そのストーリーにリアルな
説得力がありました。

私はそのとき、心の中で決めたんです。

「私も、こうなりたい。」

単に“海外に憧れる”ではなく、
「この人たちのように、言葉を使って、
世界を舞台に生きる人になりたい」
と、
はっきりとしたイメージが
自分の中に生まれた瞬間でした。

香港という街の“ノスタルジック感”に感動した日


香港という街に、
私はすっかり魅了されてしまいました。

何より驚いたのは、
その“ノスタルジック感”です。

街を歩けば、
英語の看板と中国語の看板が並んでいて
スターバックスの隣には
漢方薬局がある。

東洋と西洋が当たり前のように
同居しているんです。


特に印象的だったのは、
2階建てバスの風景。

赤いバスが狭い坂道を縫うように
走っていく姿に、映画のワンシーンを
見ているようなワクワクを感じました。

乗ってみると、街の喧騒と、
バスの中の静けさの対比
もまた面白い。

どこを見ても新しい刺激ばかりで、
目と耳が2つずつでは足りないくらいでした。


そして、人々のエネルギーも強くて。

“自分の人生を生きている”
というたくましさがにじみ出ていました。

歩くスピードも、目の輝きも、話す声も、
日本で見慣れた光景とはちょっと違っていて。

私は思いました。

「ああ、ここには“生きている”
っていう実感がある」って。

一方で、日本はどうだろう。
毎日同じ時間に、同じ電車に乗って、
同じ服を着て、同じような顔で通勤する人たち。

どこか“型”にハマっているような窮屈さ
感じていた自分にとって、
香港の活力のある雰囲気は
とても新鮮だったんです。


言葉も文化もバラバラなのに、
それを受け入れて共存している
この街の姿が、
私の心に強く刻まれました。

「世界って、
こんなに自由でたくましいんだ。」

そんな気づきを与えてくれたのが、
香港という場所だったんです。

中国留学で育った「自分から動く力」

高校時代の香港旅行をきっかけに、
「海外で働く」という選択肢が
現実味を帯びはじめ、
私は大学で中国語を専攻して、
20歳のときに中国・杭州へ
留学することにしました。


杭州は「西湖」で有名な風光明媚な場所。

街並みは美しく、人も優しく、
暮らしやすい環境でしたが、
やはり最初は不安もありました。

親元を離れ、言葉も文化も違う土地。
知っている人は誰もいません。

「自分で動かないと、何も始まらない」

そんな現実が、
毎日のように突きつけられたんです。


銀行口座の開設、携帯電話の契約、
日用品の買い出し、ルームメイトとの
部屋でのルール決めなど。

語学ができなくても、勇気さえあれば、
意外とできてしまうもの
なのです。

でも、その環境があったからこそ、
私は“自分から動く力”を
身につけることができたと思います。

3人兄弟の末っ子だった私は、
本当に自分で何もできなかったのです。

ここで私は生まれ変わった
それくらい変化しました。


授業が終われば、
ローカルの食堂に入ったり、
現地の人と拙い中国語で会話したり。

失敗もたくさんしました。

「何言ってるか分からない」って
言われたこともあるし、
注文と違う料理が出てきたことも
数えきれない(笑)。

それでも、恥ずかしがらずに、
とにかく動いて、試して、挑戦してみる。

そんな日々の積み重ねが、
私の中の「行動力」の
土台になっていきました。


特に印象的だったのは、
「自分から発しなければ、
 誰も気にも留めてくれない」

ということ。

日本では“察する文化”があるけれど、
中国では“伝えないと伝わらない”。

だから、自分の考えや想いを言葉にして、
相手に届けることが、
どれほど大事かを痛感しました。

自分の想いを信じて動いた
あの留学生活は、
今でも私の中で大きな財産です。

中国から帰国する時には、
日本語が通じるなら
どんなことでもできる!

と思ったほど。

過去の自分に感謝です。

そして今、私はふたたび“外の世界”へ


90日間、週5日ブログを
書き続けるという挑戦が、
昨日ついにゴールを迎えました。

「書くこと」で自分の内側が
整っていく感覚。

自分に向き合い、言葉にすること。

気づけば、それが私の「癒し」であり、
「整える」手段になっていた
んです。

そして、そんな自分にあげたご褒美。
それが、マレーシアへ行くこと。

私は今、再び“外の世界”に
飛び出そうとしています。


目的は観光でもバカンスでもなく、
未来の自分のための“視察”のような旅。

今の自分の目で世界を見て、
自分がどこに立ち、どう働き、
どう生きたいのかを

感じ取りにいく旅です。

昔のように、“なんとなく”海外に
憧れているのではありません。

今の私は、ちゃんと自分の意思で、
自分の人生の舵を取りたいと
思っています。

書くことを通して、私はまたひとつ、
新しい自分と出会えました。


そして、自分が進みたい道も、
行きたい場所も、
少しずつ見えてきました。

自分の“これから”を、
自分で創っていく。


そのための第一歩として、
マレーシアという場所を
選んだ私の感覚を、
信じてみようと思います。

きっとまた、あの時のように。
自分から動けば、見える景色が変わってくる。


これからの物語を、
私はまた新しく書きはじめます。

まずは、パスポートを取り直すところから。
またご報告します!

この記事を書いた人

LPクリエイター
旅をしながら、心と未来を整える。
自由に生きる力と、
私らしいしごとを育てています。
2026年からはSFC修行予定。
元銀行員、中国料理研究家

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